この世のものは、やっぱり全部一期一会だと今日また思った話

私の数少ない趣味の一つに、美術館巡りがある。

そしてさっき突然、5年以上前に見た、ある絵のことを思い出した。

夜の船着き場が描かれたもので、暗闇に光るなにがし(それすら忘れた)に、吸い込まれた。

素敵だけど、これじゃないよ

誰の作品か、全く覚えていない。

個別のアーティストの作品展ではなく、印象派展だったので、追求のしようがない。ただ一目惚れして、その絵の前で小一時間見続けたということは、すごく良く覚えている。

後でミュージアムショップでポストカードで持ち帰ろうと思っていたら、なぜかクリアファイルしかない。クリアファイルでは絵のよさがファイルのツヤと共に失われていて、諦めた。

でも今思えば、クリアファイルでも持っていたら、忘れないで済んだのだろうな、と。年に何度か思い出して、なんだったかなぁと記憶を辿ろうとするものの、なにせトリガーがなさすぎる。


作品ひとつひとつとは、一期一会だなと思う。

例の絵にしても、あのときの私が見たから、あれだけ釘付けにされたわけで、ひょっとしたら今の私が初めて同じ絵を見たとしても、あの時ほどの衝撃は受けなかったかもしれない(受けるかもしれないけれど)。

例の絵のことも、見てから年月が経つにつれて、ほんの少し思い出すたびに、たぶん記憶がどんどん美化されている。きっと今になって再会しないほうがいいのだ、と心を落ち着ける(でもたぶん一生気になってると思う)。


その分、今の自分だから興味が持てる絵もある。

例えばピカソ。当時の自分は、あの独特の世界観に興味が持てなかった。分かりやすく美しい絵ではない分、その奥にあるストーリーを知ると、見る目が変わる。

一期一会だけど、きちんと自分の中に蓄積されていると感じる良い例。


自分が書いた文章でも、そう。私は特段、作文はうまくない。

学生時代の国語の成績はかなりよかったけど、それとこれとは必ずしも一致しないことは、ブログを始めてみてよくわかった。その時は渾身の力を込めて書いたと思っても、しばらく経ってみると駄作の極みのように見えて、あ~ぁとなることもたびたび。

その代わりに、今の自分には持ち得ない感覚から紡がれる言葉もあったりして、(ごくごく稀に)自分もなかなか捨てたものじゃないと思えたりする。

今の自分が生み出すものも、今の自分にしか作れない、一期一会なのだ。

だから今、またあの絵のことを思い出した、とわざわざ書き記すに至っている。


あの絵に思いを馳せるたびに、

その瞬間を大事にしよう、と改めて思う。


あの絵のことを覚えていないのも、なんのメモも残して置かなかったのも、全部このことを思い返すためのなのかもしれない(クリアファイルをうっかり入手していたとしたら、きっと今頃その他大勢のひとつとなっていただろうな)

と思い始めたのは、子どもが生まれたからのような気がする。

子どもが生まれてからは、特にたびたび思う。今この目の前の子をしっかり堪能しようと。でもすぐ忘れちゃう。その儚いのが、またいいのかもしれない。

いまのこの子を大事に。

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