世の中には「当たり前」であることが、たくさんある。
例えば、ディズニーランドにミッキーがいることは、世界共通の「当たり前」である。
3歳の我が息子の中にあるアンパンマンの世界には、時折ドラえもんが顔を出すが、
それでも概ね、世の中にはおよそ覆らない「当たり前」が、確かに存在する。
一方「当たり前」の中には、上の例とは違った種類のものもある。
例えば、お友達の誕生日パーティーに呼ばれて、ケーキではなくおはぎが出てきたら、多くの子ども達は怪訝な顔をするか、目に見えて落胆するだろう。
誕生日にはケーキ、これは「当たり前」かのようにみえて、ただの「刷り込み」である、と私は考える。
この実社会に存在する「刷り込み」は、共通認識として便利である反面、ある種の怖さを内包していると思う。
自分の頭で考えることなく、全自動で右に倣ってしまうような感覚だ。
私は偏屈なので、日頃からその「刷り込み」を、息子に伝承していいものかどうか、立ち止まって考えるようにしている。
今日はそんな私が、子どもの誕生日に、とまでは言わないが、日常的に食べても「差し支えない」、と考える、あるおやつを紹介したい。

「食事には気をつけましょう」と、親切な誰かから助言があっても、
それこそあまりに「当たり前」すぎてサラッと聞き流せてしまうだろう。
他方、「これを心掛ければ、子どもが健やかに、ラクに育つ子になりますよ」と言うならば、あなたも少しは気に留める気にもなるかもしれない。
そして、これはけして誇張ではない。
三つ子の魂百までとは、私が多方面で意識している概念である。
こと「おやつ」に関しても、これは我が子に迫りくる危機だと感じたことが何度かあった。
茶色い四角いモノとの、衝撃的な出合い
それは旅先、特に海外で何度もあったことだ。
我が子は常に、抱っこ紐で前向きに抱えられて街を闊歩していたため、
恐らく周りの人々も、何かちょっかいを出したくなるのかも知れない。
ある人は手を振り、またある人は微笑みかけてくれ、
それはそれは、微笑ましい現地の人々との交流であった。
そしてまたある人は、1歳足らずの子どもに、魅惑のおやつの数々、例えば
チョコレート、クッキー、マシュマロ、などなどを差し出してくれるのだ。
離乳食の真っ最中の息子に対し、この類のおやつは一切与えていないものの、
その好意は大変嬉しいので、私はありがたく受けとり、のちにひっそり自ら食すのである。

そんなある日、いつものように前向き抱っこで街を散歩中に、事件が起こる。
母がよそ見をしている間に、人知れず息子が、街ですれ違った紳士からあるものを受け取っていた。
キャラメルである。
包み紙ごと口に含み、茶色いツヤツヤしたものを貪り食う我が子を、ショーウィンドウ越しに発見した私は、本当に驚いた。
今思えば写真の一つも撮っておくべきだったと後悔するほど、彼のお顔は大惨事であった。
(よく考えたら、生死に関わる大事件の可能性も内包されているのであるが、当時は考えつかなかった)
人生初めての魅惑の某との出合いに、息子は夢中になっていた。
慌てて引き剥がそうとしても、全く譲らない。
「あまいもの」の持つ、人の本能へ訴求する中毒的な魔力。
「人体について学ぶべし」
師匠の言葉が脳内をこだましたと同時に、私は決意した。
子どものおやつは、こだわるべし。
最近のヒット作
その決意から、様々なおやつを買い集めて試す日々。
近頃は、親子ともにコレに夢中だ。

タマチャンショップ製「OH!オサカーナ」熟成チーズミックス。
チーズミックス以外にも多種ある。
少し糖分が添加されているが、小魚の取っ掛かりとしては、子どもでも食べやすい。
糖分対策として我が家では、普通のいりことオサカーナを足して、徐々にいりこ比率を高めていく作戦を取っている。
私も鬼ではないので、外出時に限り、人並みに甘いおやつも提供している。
あくまで「お出掛けだから特別」であり、それを我が家の「当たり前」としているので、今のところゴネられて困ったことは1度もない。
その影で、弊害も起こっている。
彼はお子様ランチに選抜されるような、大多数が好むもの(ハンバーグ、唐揚げなど肉類全般、スパゲッティ等の糖質の多いもの)を好まない。そのため、外出時の食事は困る事が多い。
大勢と歩調が合わないことの不便は、常に付きまとう。
だがこの選択が将来、大きな差を生むことを、私は師匠から学んで知っている。